泊まるホテルから地球物理学研究所まで2,5km 歩くにちょうどよい距離、しかも曇り空で、日差し弱く、雨もない。車道は埃ぼっいし、一応は地図も読める。路地裏の近道を歩く。しかし、ハノイの路地裏は必ずしも通り抜けると限らない。まさに巨大迷路。何度も個人の家に突き当たり退却。電柱も当てにならず、電話線も留まっていた。それでもどうにか車道に戻り、研究所にたどり着く。決して近回りにならず。
帰り道、仇討ちを狙って、再び挑戦、でも返り討ちにあう。しかし、巨大迷路で苦戦したあとに、通い慣れた屋台で冷えたハノイビールが待っていた。感謝
Apr 25, 2011
Jan 4, 2011
2011年 おめでとうございます.
今年の賀状は昨年9月に水田で見つけた小さなトンボの写真にしました.農薬は田植え直後だけの水田ゆえに田の草取りに苦戦していますが,そんな苦労が忘れられるほっとした1シーンでした.
Oct 30, 2010
スマトラのアチェでの津波体験を残すために
Oct 10, 2010
Oct 8, 2010
人の顔が見える火山観測体制の確立を
火山学会の秋季大会前日に火山観測に関する集会が開かれた.火山国日本と言いながらも気象庁がきちんと火山活動の観測をしているのがわずかに47火山,しかも多くは地震観測1点という貧しい状態である.先進国といいながらも教育と同様に火山観測も置き去りにされている.しかも,困ったことはその観測体制のなかに人の顔が少しもみえないことである.観測を強化したと言いながらも,測候所が全国から消えようとしている.地元に火山を見つめる人がいるのが最大の観測ではないだろうか.
Oct 3, 2010
10年ぶりに上高地から焼岳へ
Sep 5, 2010
「小さな秋 見つけた」 稲刈り前の田んぼで
今年は台風の襲来もなく、水田の稲も順調に育ち,あと一ヶ月ほどで稲刈り。朝早く水田を回れと、こんな微笑ましいシーンを見つけた。早朝のデート,ハネムーン。米粒ほどのトンボでも命が宿っていた.絶滅の危機にあると言われながらも,彼らも頑張っている.彼らの次世代が巣立ちするころ、稲刈りとなる。
Aug 31, 2010
スマトラのシナブン火山噴火
スマトラのトバ湖の北方に位置するシナブン火山が8月29日に噴火した.この火山は最後の噴火が1707年,400年前である.インドネシアでは当然ながらいかなる監視もされていなかった.まだ噴煙は上空2000mほど.一部では溶岩流出の情報もあるが,確認されていない.噴火と同時にインドネシア火山調査所も地震計を設置している.最近噴火がない火山といえ,火山活動の監視は,火山国では絶対に必要なことである.(写真はアンタラ通信による)溶岩流出を伝えるサイト しかし火山調査所は未確認
Aug 26, 2010
王滝山頂にも地震計を設置
昨日に引き続き、御嶽山登山。当然ながら足は重い。九人も登れば、年寄りは空身。それでも王滝山頂まで三時間。着いた時にはすでに穴も掘り終っていた。西風ながら、硫黄臭は強い。下りですら二時間、四時に帰途に着くが、疲れ果てた身体で下山後三時間の運転もキツかった。初雪の頃に撤収する。
Aug 24, 2010
御嶽山八合目に地震計を設置
JICA研修生に御嶽火山の話をしたところ、登りたいというリクエストが上がった。どうせ登るなら地震観測はいかがと中道さんが乗ってきた。そんなことで、本日、八合目に登る。モスリムの二人も断食を中断して登る。曇り空は暑くなく快適、だが不摂生の身にはこたえる。明日は王滝山頂に設置する。
Aug 17, 2010
空から御嶽山
国土交通省の災害ヘリで御嶽山を眺める機会があった.上松のヘリポートからわずか10分、王滝山頂である.07年に噴火した火口では依然として噴気が続き,黄色硫黄も着いている.地獄谷の中腹でも噴気は続く.飛騨側に回れば,巌立の溶岩流が見事に流れ下っている.雲でニノ池などの火口湖はみえなかった.次は,アリューシャン列島と同様に,是非ともヘリで機動的な観測をやってみたい.同乗した王滝村村長さんの写真
Aug 10, 2010
ベトナムの地震活動
8月上旬,機内泊を含め3泊という強行軍でハノイに出かけた.最近気になっているベトナム北西部の地震活動,そこでいかなる観測がなされているかきちんと調べる必要があった.左はDuongさんが調べてくれた最近10年間ほどの地震活動である.たしかに観測網は整備されないながらもUSGSでは検出できない地震活動が観測されていた.やはり北西部ではM6-7の地震が十分に想定され,しかもそこに巨大なダムの建設が進んでいる.これだけの能力がある国と私たちはもっと連携する必要がある.帰りにXsun教授の弟さんから餅米で作った密造酒を頂いた.
Jul 31, 2010
見つかってもう1年 放置される根尾谷断層の新露頭
1891年M8.0濃尾地震の震源となった根尾谷断層、今でも多くのところで当時の断層露頭が残る。天然記念物、水鳥では6mの垂直ずれ、そこから10kmほど北、中地区では、畑の境で8mの水平すれがみられる。その中地区で国道のバイパス工事が始まった。すると道路の中央に当たるところに6m以上の大きな垂直ずれが見つかった。それだけに、道路工事は中止された。しかし、いかに保存するか、発見から1年以上が経過してもいまだに決まっていない。
あの神戸地震の震源となった野島断層も変位1-2m、断層を追えるのは10kmほど、それと比べ、大きな根尾谷断層。ぜひとも、きちんと保存してほしい。
あの神戸地震の震源となった野島断層も変位1-2m、断層を追えるのは10kmほど、それと比べ、大きな根尾谷断層。ぜひとも、きちんと保存してほしい。
Jul 30, 2010
根尾谷断層保存 明と暗
根尾谷断層では高齢化と過疎で、休耕地が増えてしまい、それまで保存されていた根尾谷断層の変位が消えてしまうことが生じていた。私たちも2007年、2008年と岐阜や名古屋の大学生、そしてJICA研修生と草刈りするなどその保存に取り組んでいた。しかし、2009年は残念ながら実施できなかった。地元では本巣市が国の援助で保安に当たる人を確保して断層保存を進めたいとしていた。この7月末、JICA研修生と根尾谷断層を訪れば、確かに天然記念物の水鳥断層(写真上)はみごとにさっぱりしていた。しかし、水平方向へ8mもずれた中地区では、まったく休耕地になっており、境界に植わった茶樹がすっかりと弱っていた(写真下)。地域の過疎と高齢化はもう地域として対応できないかもしれない。残念。
王滝での木曽と伊那の理科教師研修
王滝中学の先生の紹介で木曽郡と上伊那郡の理科教師研修会に出かけた.雨の降る中,コーラでの火山噴火模擬実験と溶岩流再現ゼリー,そして産総研の及川さんによる御嶽山火山灰の田の原露頭の見学と盛りだくさん.実験は学生の小澤君と松村君が指揮する.楽しんで御嶽山の火山灰を理解する.大変いいことだ.こんな機会を設けてくれた王滝中学の川上さんに感謝する.
Jul 24, 2010
王滝中学の御嶽山登山
御嶽山周辺の小中学校では毎年夏、御嶽山に登山する.先週は開田中学校が登って五の池小屋で泊まり,コマクサの世話をした.今週は王滝中学2年が登る.生徒6名に引率者が7名.ニノ池新館で一泊し、五の池まで縦走する.この様子がブローグ、銀河の森日記で登山チームの一挙一動として速報されていた(左の写真).ふもとの木曽谷は地域の光ネットワークが完備し、王滝でもわが子の動きが確実に伝わる.登山にはアジア航測の千葉達朗さんも加わり、生徒たちに御嶽火山を現地で説明するはずだった.登山が延期されたゆえ、参加できず、誠に残念.
Jul 18, 2010
「御嶽山」出版のサイトを公開
信濃毎日新聞社から「御嶽山:静かなる活火山」を出版して一ヵ月。もっとも伝えたい地元に本屋さんが少ないという厳しい条件。でも、たとえば中津川の先輩3人で50冊、御嶽の常宿ケヤキの湯で20冊と知人が大奮闘してくれる。ありがたいものだ。また、読んだ人がいろんな感想を届けてくれる。さらに、出版後も御嶽山から嬉しいニュースも、聞きたくないニュースも届く。そんなことを整理して、「御嶽山:静かなる活火山」のサイトを作成した。なお、御嶽山の防災のポータルサイトも準備し、秋までに公開したい。
田植えから2ケ月 あと2ケ月で刈り取り
梅雨明け、5月末の田植えから二ケ月、稲は順調に育つ、この間、三回ほど田の草取りに興じる。除草剤は田植え直後の1回だけ。今年は友人から田の草取り機を分けてもらい、おかげで、昨年と比べ、体力の消耗も格段に少なかった。月末から穂が出始め、あと二ケ月で刈り取りになる。10年前、伯母さんから頂いた1反弱の水田だが、6人の家族の食を担った。今や三人、余ってしまう。いつも「おいしい」と自画自賛して白飯をいただくことにしている。
Jul 12, 2010
5年目のJICA研修がスタート
JICA研修コース「地震・津波・噴火」が始まった.今年もフィリピン,インドネシア,ミャンマー,パキスタン.ケニア,そしてベネズエラの6ヶ国から6名が3月までの9ヶ月間,名古屋大学で研修に励む.毎年毎年研修生が異なれば,そのチームも少しづつ違う.果たして今年はどんなチームに育つのであろうか.確実に,当然ながら,研修生の問題意識は高まっている.でも発展途上国の中には災害以前の課題で苦闘する国が増えている.写真は7月末 根尾谷のM8.0 カフェの前で.残念にも閉店していた.
Jul 10, 2010
王滝中学に小林武彦コレクション
アジア航測の千葉さんが王滝中学で貴重な溶岩コレクションを見つけた。誰が寄付したか不明だがいくつもの溶岩が理科室の前に並ぶ。その一つを見て、千葉さんが驚く。溶岩は1991年雲仙普賢岳噴火の初期のもの、彼自身も持っていないという.さらに86年大島噴火の新鮮な火山弾、ハワイキラウェア火山のペ
レーの毛まで。寄付した火山学者の推測が始まった。溶岩の噴出年代、そして御嶽に深い関わりのある人、富山大を辞められた小林武彦さんと意見が一致した.ありがとう、小林さん.粋な計らいです。
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