Sep 30, 2009

ハノイは昼から大宴会だ

この三月、ベトナムに始めてきた時、最初の昼ごはんからウォッカの乾杯が始まり、参いった。今回、三週間もいると、これが極めて日常的なことだとわかるようになった。昨日もJICA訪問の帰りの昼食は、中宴会だった。中味不明な黄色いウォッカで乾杯し、熱いハノイで鍋料理を楽しんだ。この豪快さが、大国アメリカを追いだしたのだろうか。そんな感心よりも、まずは乾杯! カンチャン!

Sep 29, 2009

ベトナム地球物理学研究所

ベトナム科学技術アカデミーの下には多くの研究所がある。地球物理学研究所(IGP)もその一つ。大気から地震までを扱っている。アジアでは中国、台湾を除けば、唯一の地球物理学所である。ちなみにハノイ大学にも地球物理学学科がある。
ベトナムでは地震観測は気象庁の仕事でなく、IGPが日常の観測業務を引き受け、全国24の地震観測点からリアルタイムで送られるデータをオフラインで処理する。津波警報センターも併設され、常に数人が24時間で監視する。
ベトナム戦争の影響で40~50代の研究者少なく、60代の教授との間にギャップがある。それでも地震部門で13人、観測監視部門で12人が元気に取り組んでいる。

Sep 27, 2009

ベトナムと自転車

ベトナムの人は自転車が好きだ。ベトナム北西部でも、大人も子供も自転車の乗っていた。オート三輪はインドネシアとフィリピンでは登下校に利用されるが、ベトナムにはなく自転車だけ。それだけに、ベトナムの子供らは、下校時、そこらで道草を楽しんでいた。送迎付きは便利だが、子供にとり面白さがなくなった。私たちも登下校は、悪ガキ活躍の場だった。学校が終わってからが本番だった。

Sep 25, 2009

ベトナムコーヒー

 初めて 本格的なベトナムコーヒーを飲む。なんていっても、ドリッパーからカッブに落ちるまでの時間が恋人との語らいに素敵だろう。でも目の前はマジな運転手グエンさんだった。でもコーヒーの香りと味を堪能できた素敵な一時でした。
多めの粉を入れて、あとはじっくりドロップされるのを待つ。カップの底には濃いコンデンスミルクがたっぷり。ドリップ終れば、ゆっくりとミルクと混ぜる。コップの氷も溶け、その水を捨ててから、コーヒーを注ぐ。濃厚なすてきな香りと味だ。
なぜか、私の旅先は美味しいコーヒーがある。スマトラ、アチェ、コスタリカ、そしてベトナム。

Sep 24, 2009

水牛に乗る少女

水牛は働きものである。山の畑からトウモロコシを運び、市場への台車も引っ張る。インドネシアでは農耕に利用してもいた。ベトナムでは田植えの季節でなく、代掻きでの水牛は見なかった。
鞍もなく、そのまま水牛にまたがり少女が二人悠々と国道を通り過ぎる。

Sep 23, 2009

ベトナムのハーブ

ベトナムの人は野菜、特にハーブが大好きだ。ハーブが出ないのはホテルのビュッフェ形式の食事だろうか。フォンうどんにもたっぷりの野菜を入れる。そのうちに、日本でも口にしないハーブ、ドクダミと赤シソを口にした。赤シソはこういう食べ方もあるかと感心した。酸っぱさが広がる。しかし、ドクダミは知らずに口にし、匂いで二枚目に手が伸びなかった。

Sep 21, 2009

ディエンビェンフー

もう40年も前、学生のころ、アメリカが「北爆」と称し、ハノイを空爆していた。その大国アメリカを諦めさせたベトナム、強烈な印象だった。そのアメリカとの戦いの前に、フランスがいた。その最後の激戦地ディエンビェンフー、初めて日本軍が関与しない旧戦場を始めて訪れた。その語りがきちんと残されていた。当所の地震観測点を維持するThai Sonさんと.

観測点脇に野営

穏やかなベトナム北西西部、家の閉じまりも、私たちの町と同様開放的だ。しかし、やはりGPS受信機の放置はまずいらしく、Duongさんたちは二週間、観測点脇のテントで滞在した。一度もシャワーを浴びない兵もいて、熱い中、大変だった。私も20年前、すでに40歳をこえていたが、インドネシアのスマトラで一ヶ月間、野営した。それにしても、ベトナム地球物理学研究所の若手研究者は燃えている。

Sep 19, 2009

おしゃれなベトナムの小娘

ベトナムの田舎でも、小さな娘さんたちはご覧のように、実におしゃれである。駄菓子屋さんの前の彼女らだが、決して着飾らずながらも小奇麗である。一人の娘は日傘も持参する。おしゃれは決して金で育つものでない。質素な帽子も素敵だ。

Sep 18, 2009

健やかに


ハノイから北西へ200km、山岳民族の村を訪れる。山の尾根筋までトウモロコシとキャッサバの畑だ。収穫は当然ながら人手作業。敬服する。米、コー ヒー、胡椒の輸出が世界二位のベトナムである。そんな小さな村で子供たちは健やかに育っていた。豊かさとはなんだろうか.
村では小学校上級生は離れた学 校に通うが、幼い1年生と2年生は複式学級で村中のまさにオープンハウスでやっていた。一人の先生が前後の教室を廻る。片方で国語を教える間、隣り(写真 では背後)の2年生は算数を自習していた。