Oct 30, 2010

スマトラのアチェでの津波体験を残すために

説明を追加
地震学会の定例講演会で広島に足を運んだ。高校の修学旅行以来。ほぼ
半世紀ぶり。その時被爆の怖さを感じた原爆資料館の前は訪れる団体のバスが溢れていた。これだ!2004年スマトラ地震津波で津波を売りにしたTシャツを津波後に即座に売りにして顰蹙を買ったアチェ市民だが、あなた方が体験した深い悲しみはいくら高くても高くない。もっと売るべきだ。あなたたちも地震にめげることない新たな歴史を拓いたのだから。

Oct 10, 2010

京都といえば赤垣屋

京都での火山学会で大津に二泊した。ただ単に三連休で宿が取れなかっただけ。二泊とも川端通りの赤垣屋にお世話になった。通の飲み屋はでしゃばり、バイトだけの飲み屋は気が利かず飲んでいても疲れる。赤垣屋は無視しながらも、きちんと配慮する。しかも、つまみとコップ酒一杯で千円、のんびりと気楽に飲める。札幌のオシドリ、上野の青龍、京都の赤垣屋、名古屋は嘉文かベンガラ屋、ともに大衆居酒屋ながら近い。

Oct 8, 2010

人の顔が見える火山観測体制の確立を

火山学会の秋季大会前日に火山観測に関する集会が開かれた.火山国日本と言いながらも気象庁がきちんと火山活動の観測をしているのがわずかに47火山,しかも多くは地震観測1点という貧しい状態である.先進国といいながらも教育と同様に火山観測も置き去りにされている.しかも,困ったことはその観測体制のなかに人の顔が少しもみえないことである.観測を強化したと言いながらも,測候所が全国から消えようとしている.地元に火山を見つめる人がいるのが最大の観測ではないだろうか.

Oct 3, 2010

10年ぶりに上高地から焼岳へ

焼岳から遠ざかっていた。山に機材を持ち上げるのが辛くなったからである。どうしても焼岳に登らざるを得ない理由があり、森林署の人と焼岳に登る。前夜はこれまた懐かしい中の湯、風呂から見える穂高が素敵だった。そして四苦八苦して中尾峠に登る。峠はしっかりとササが茂っていた。昔を懐かしみながら頂上を見上げれば、そこらじゅうから噴気が上がっていた。

Sep 5, 2010

「小さな秋 見つけた」 稲刈り前の田んぼで

今年は台風の襲来もなく、水田の稲も順調に育ち,あと一ヶ月ほどで稲刈り。朝早く水田を回れと、こんな微笑ましいシーンを見つけた。早朝のデート,ハネムーン。米粒ほどのトンボでも命が宿っていた.絶滅の危機にあると言われながらも,彼らも頑張っている.彼らの次世代が巣立ちするころ、稲刈りとなる。

Aug 31, 2010

スマトラのシナブン火山噴火

スマトラのトバ湖の北方に位置するシナブン火山が8月29日に噴火した.この火山は最後の噴火が1707年,400年前である.インドネシアでは当然ながらいかなる監視もされていなかった.まだ噴煙は上空2000mほど.一部では溶岩流出の情報もあるが,確認されていない.噴火と同時にインドネシア火山調査所も地震計を設置している.最近噴火がない火山といえ,火山活動の監視は,火山国では絶対に必要なことである.(写真はアンタラ通信による)溶岩流出を伝えるサイト しかし火山調査所は未確認 

Aug 26, 2010

王滝山頂にも地震計を設置

昨日に引き続き、御嶽山登山。当然ながら足は重い。九人も登れば、年寄りは空身。それでも王滝山頂まで三時間。着いた時にはすでに穴も掘り終っていた。西風ながら、硫黄臭は強い。下りですら二時間、四時に帰途に着くが、疲れ果てた身体で下山後三時間の運転もキツかった。初雪の頃に撤収する。

Aug 24, 2010

御嶽山八合目に地震計を設置

JICA研修生に御嶽火山の話をしたところ、登りたいというリクエストが上がった。どうせ登るなら地震観測はいかがと中道さんが乗ってきた。そんなことで、本日、八合目に登る。モスリムの二人も断食を中断して登る。曇り空は暑くなく快適、だが不摂生の身にはこたえる。明日は王滝山頂に設置する。

Aug 17, 2010

空から御嶽山

国土交通省の災害ヘリで御嶽山を眺める機会があった.上松のヘリポートからわずか10分、王滝山頂である.07年に噴火した火口では依然として噴気が続き,黄色硫黄も着いている.地獄谷の中腹でも噴気は続く.飛騨側に回れば,巌立の溶岩流が見事に流れ下っている.雲でニノ池などの火口湖はみえなかった.次は,アリューシャン列島と同様に,是非ともヘリで機動的な観測をやってみたい.同乗した王滝村村長さんの写真

Aug 10, 2010

ベトナムの地震活動

8月上旬,機内泊を含め3泊という強行軍でハノイに出かけた.最近気になっているベトナム北西部の地震活動,そこでいかなる観測がなされているかきちんと調べる必要があった.左はDuongさんが調べてくれた最近10年間ほどの地震活動である.たしかに観測網は整備されないながらもUSGSでは検出できない地震活動が観測されていた.やはり北西部ではM6-7の地震が十分に想定され,しかもそこに巨大なダムの建設が進んでいる.これだけの能力がある国と私たちはもっと連携する必要がある.帰りにXsun教授の弟さんから餅米で作った密造酒を頂いた.

Jul 31, 2010

見つかってもう1年 放置される根尾谷断層の新露頭

1891年M8.0濃尾地震の震源となった根尾谷断層、今でも多くのところで当時の断層露頭が残る。天然記念物、水鳥では6mの垂直ずれ、そこから10kmほど北、中地区では、畑の境で8mの水平すれがみられる。その中地区で国道のバイパス工事が始まった。すると道路の中央に当たるところに6m以上の大きな垂直ずれが見つかった。それだけに、道路工事は中止された。しかし、いかに保存するか、発見から1年以上が経過してもいまだに決まっていない。
あの神戸地震の震源となった野島断層も変位1-2m、断層を追えるのは10kmほど、それと比べ、大きな根尾谷断層。ぜひとも、きちんと保存してほしい。

Jul 30, 2010

根尾谷断層保存 明と暗

根尾谷断層では高齢化と過疎で、休耕地が増えてしまい、それまで保存されていた根尾谷断層の変位が消えてしまうことが生じていた。私たちも2007年、2008年と岐阜や名古屋の大学生、そしてJICA研修生と草刈りするなどその保存に取り組んでいた。しかし、2009年は残念ながら実施できなかった。地元では本巣市が国の援助で保安に当たる人を確保して断層保存を進めたいとしていた。
この7月末、JICA研修生と根尾谷断層を訪れば、確かに天然記念物の水鳥断層(写真上)はみごとにさっぱりしていた。しかし、水平方向へ8mもずれた中地区では、まったく休耕地になっており、境界に植わった茶樹がすっかりと弱っていた(写真下)。地域の過疎と高齢化はもう地域として対応できないかもしれない。残念。

王滝での木曽と伊那の理科教師研修

王滝中学の先生の紹介で木曽郡と上伊那郡の理科教師研修会に出かけた.雨の降る中,コーラでの火山噴火模擬実験と溶岩流再現ゼリー,そして産総研の及川さんによる御嶽山火山灰の田の原露頭の見学と盛りだくさん.実験は学生の小澤君と松村君が指揮する.楽しんで御嶽山の火山灰を理解する.大変いいことだ.こんな機会を設けてくれた王滝中学の川上さんに感謝する.

Jul 24, 2010

王滝中学の御嶽山登山

御嶽山周辺の小中学校では毎年夏、御嶽山に登山する.先週は開田中学校が登って五の池小屋で泊まり,コマクサの世話をした.今週は王滝中学2年が登る.生徒6名に引率者が7名.ニノ池新館で一泊し、五の池まで縦走する.この様子がブローグ、銀河の森日記で登山チームの一挙一動として速報されていた(左の写真).ふもとの木曽谷は地域の光ネットワークが完備し、王滝でもわが子の動きが確実に伝わる.登山にはアジア航測の千葉達朗さんも加わり、生徒たちに御嶽火山を現地で説明するはずだった.登山が延期されたゆえ、参加できず、誠に残念.

Jul 18, 2010

「御嶽山」出版のサイトを公開

信濃毎日新聞社から「御嶽山:静かなる活火山」を出版して一ヵ月。もっとも伝えたい地元に本屋さんが少ないという厳しい条件。でも、たとえば中津川の先輩3人で50冊、御嶽の常宿ケヤキの湯で20冊と知人が大奮闘してくれる。ありがたいものだ。また、読んだ人がいろんな感想を届けてくれる。さらに、出版後も御嶽山から嬉しいニュースも、聞きたくないニュースも届く。そんなことを整理して、「御嶽山:静かなる活火山」のサイトを作成した。なお、御嶽山の防災のポータルサイトも準備し、秋までに公開したい。

田植えから2ケ月 あと2ケ月で刈り取り

梅雨明け、5月末の田植えから二ケ月、稲は順調に育つ、この間、三回ほど田の草取りに興じる。除草剤は田植え直後の1回だけ。今年は友人から田の草取り機を分けてもらい、おかげで、昨年と比べ、体力の消耗も格段に少なかった。月末から穂が出始め、あと二ケ月で刈り取りになる。10年前、伯母さんから頂いた1反弱の水田だが、6人の家族の食を担った。今や三人、余ってしまう。いつも「おいしい」と自画自賛して白飯をいただくことにしている。

Jul 12, 2010

5年目のJICA研修がスタート

JICA研修コース「地震・津波・噴火」が始まった.今年もフィリピン,インドネシア,ミャンマー,パキスタン.ケニア,そしてベネズエラの6ヶ国から6名が3月までの9ヶ月間,名古屋大学で研修に励む.毎年毎年研修生が異なれば,そのチームも少しづつ違う.果たして今年はどんなチームに育つのであろうか.確実に,当然ながら,研修生の問題意識は高まっている.でも発展途上国の中には災害以前の課題で苦闘する国が増えている.写真は7月末 根尾谷のM8.0 カフェの前で.残念にも閉店していた.

Jul 10, 2010

王滝中学に小林武彦コレクション

アジア航測の千葉さんが王滝中学で貴重な溶岩コレクションを見つけた。誰が寄付したか不明だがいくつもの溶岩が理科室の前に並ぶ。その一つを見て、千葉さんが驚く。溶岩は1991年雲仙普賢岳噴火の初期のもの、彼自身も持っていないという.さらに86年大島噴火の新鮮な火山弾、ハワイキラウェア火山のペ レーの毛まで。寄付した火山学者の推測が始まった。溶岩の噴出年代、そして御嶽に深い関わりのある人、富山大を辞められた小林武彦さんと意見が一致した.ありがとう、小林さん.粋な計らいです。

Jul 9, 2010

千葉さんと私で王滝中学で御嶽山の授業

御嶽山を調査している千葉達朗(アジア航測)さんがそのふもとの王滝小中学校で火山の授業をしてくれた。79年噴火後に生まれた中学生にとり、活火山として御嶽山を学ぶ機会も少ない。そんなこともあり、私と二人、小学校6年生から中学3年生、計40名の授業となった。小6から4学年の授業に私は苦労したが、千葉さんは86年大島噴火のビデオなど火山噴火の話をうまくまとめた。千葉さんは来週、この中2の御嶽登山に同行する。大学のスタッフ以上の地域貢献に頭が下がる。

Jul 5, 2010

名古屋大学にノーベルの道

地下鉄名古屋大学、その二番出口から東に理学部へのアプローチ、改装で新たな散歩道ができた。わずか百メートルながら欅並木、まだ入れたばかりの砂が目立つ。でも、先日は欅を好むオオマダラが飛んでいた。散歩道の終点は、ノーベル賞受賞者が研究生活を過ごした建物、現在、その1階に彼ら三人の受賞記念室がある。短いながらもノーベルの道。帰り道は眼下に名古屋の繁華街が広がる。おいでやす。私の部屋は当然ながらその建物の外だ。

Jun 28, 2010

王滝村 中学生までの医療費給食費を村負担

御嶽山の南山ろく 王滝村は赤字再建団体を突きつけられながらも一人でも人口を増やすために粋な取り組みを始めている。四月には小学校の複式化を防ぐために村独自で教員を確保した.第二弾は中学生までの医療費と学校給食費の無料化である(信濃毎日6月12日)。直ちに人口が増えるわけでないが、一人一人を大切にすることは村の再建にとって重要な課題である.子育て支援策拡充へ 王滝村が関連予算案を提出 |

Jun 16, 2010

「御嶽山 静かな活火山」を出版

1979年10月 御嶽山が噴火、実に有史初の噴火だった.そしてその後2回の噴火、ごく小規模な噴火ながらも少しづつ噴火の先行現象が観測できるようになった.地元の人は御嶽山を大神さまと称す、その大神様らしく実に律儀な火山である。先行現象もすこしづつ明らかんなってきた。しかし、地元は地域の存在が問われるほど厳しい条件になっている.そんな中でも、大神様とともに生きる動きが今日も届く。信濃毎日新聞社発行。読者の声や出版後の御嶽の様子 信濃毎日の紹介サイト

Jun 15, 2010

浅間山 登山道にも噴火警戒レベルの掲示板

浅間山で測量していた。追分から前掛山への登山道入り口に火山活動状況を知らす噴火警戒レベル1がきちんと掲示されていた。その隣は噴火ハザードマップが簡略ながら記された看板だった。ちなみに浅間山では噴火レベルは4月15日に2から1へ落とされた。少しながら、噴火防災も確実に進む。残念ながら浅間山観測所も軽井沢測候所も廃止されている。

May 10, 2010

湯豆腐,アタリメと日本の安居酒屋

ハノイの街頭の居酒屋、店舗のない居酒屋、簡単にいえばオープン屋台。周りの客の摘みをキョロキョロすれば、まさに日本の安居酒屋だ。右は皿盛の湯豆腐(ゆでた豆と注文した)、左はあたりめ、スルメだ。マヨ醤油でなくチリソース.茹で殻付き落花生は一皿40円、一人なら十分.生中三杯飲んで200円未満。退職後の飲み場所は決定!

May 9, 2010

日本人が作った?ベトナムのウオッカ

金曜日の夜から研究所の若手に誘われ、ファイホンへ出かける。ファイホン、聞いたような聞かないような地名。しかしつけば思い出した。アメリカが北爆を開始したとき、最初に標的とした大きな港町だ。今も大きなコンテナを引っぱってトラックが往来する。町はコロニアル調の美しい建物が並ぶ。そこの居酒屋で飲んだのが「月」という大正時代のノスタルジアが湧く見事なシールに包まれた古酒だった。飲みすぎてしまった。

May 6, 2010

オンラインストレージ Dropbox


http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/09/15/dropbox/index.html

Android用のDropboxアプリ

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/05/06/001/index.html
オフラインでの利用は「Favorites(お気に入り)」に登録(ビュー画面下部の☆マークを選択)、ただし、オフラインファイルは自動的に更新されない。編集した 場合は手動でアップデートする。

May 3, 2010

どこかで見た覚えが でも

アチェの人々は津波がもたらした 悲しさと喜びを夜の屋台で表現していた。ここはハノイ。とにかく、人々は酒を飲む。昼でも後指が指されない。でも、飲む人は田舎で半分、観測チームも半数。呑み助の自己弁護だ。今夜は落花生で生中三杯.身勝手!

May 2, 2010

観測終えて ホッ

今年は観測も4月下旬、雨季、連日、雨に泣いた。あるチームは近く襲う地滑りで住民二名が犠牲に。でも、観測が終われば、ハノイに帰るまでの一時を屋台のビリヤードを楽しむ。ちなみにビリヤードはベトナム語でビール。発音は違うが。

Apr 30, 2010

ベトナムのファミレスうどん屋

4月30日南部解放の祭日.朝、いつものうどん屋へ.調子が違う.店は相変わらず繁盛だが、サラリーマンでなく家族連れで一杯.それも幼子が多く、一家族で一テーブル.幼児向けの小盛りもあった.幼児には格好の食事かもしれない.私はいつものごとく、生野菜一皿を丼に入れ、ハーブブン.適量,腹に負担がなく、しかもうまい.ごちそうさま.

味の素はアジアの味 そして味の素症候群

朝御飯のブンを食べにいつものうどん屋に出かける。時間もあり、その作り方を何気なく眺める。温めなおしたブンを丼に盛り、その上になんと味の素を大さじ一杯振りかける。
味の素は、日本では中華料理店症候群などと指摘され見むきもされなくなって久しい。多分、うちの娘らは味の素など知らないはずだ。化学調味料として日本で叩かれてからアジアで大飛躍。面白いもんだ。そういえば、インドネシアのミーバソの丼も味の素マークがブリントしてあった。さて、中華料理店症候群の指摘をアジアで以下にクリアーするだろうか

Apr 29, 2010

大きなカフェは靴磨きも ベトナム

ベトナムの町で一度も物貰いには会っていない。最も北部だけの話。しかし、大きなカフエに入るとスリッパをぶら下げた男性が近づき、足下のサンダルを見て離れて行く。店専属にちかい靴磨き屋さんだ。勿論有料。ちゃんとしたビジネス。

Apr 20, 2010

フォーとブン(2)

日本では蕎麦以外、麺をあまり食べない.だがベトナムでは1日に2回ぐらい麺を注文する.朝はフォーボーの牛肉入りキシメンか、今夜はブンボーの牛肉入りソウメン.どちらも米麺である.今晩のブンボーは15,000ウォン、100円ウドン.しかし、たっぷりと細ネギと筍が入り、淡白な汁もたっぷり.まさに野菜うどんである.うまかった.

Apr 19, 2010

ハノイの前田美波里と乾杯

健康のため研究所からホテルまで歩く.30分.途中で香ばしい匂い、健康も忘れ、飛び込む.焼肉屋など10年振り.七輪で豚の炭火焼.日本なら高級店.前席七人がウイスキーで宴たけなわ、一人若い女性がビールを嗜かむ.ベトナム人に似合わず、高い鼻筋、40年前のキャンペーンガール前田美波里が浮かぶ.乾杯なしで楽しかった.犬も歩けば棒.店を出て彼女が私と同年を思い出す.

Apr 15, 2010

御嶽本出版 再校の投函まで辿り着く

08年年末に、噴火から30年が経過しようとする御嶽山について市民向けの出版を信濃毎日新聞社に申し入れる.企画は採択されたが、それからが大変だった.御嶽山周辺の地域の現状も述べたい.しかし、そんな素養はない.編集員の内山さんに同行願い、王滝村や高山市に取材する.そんなことで、延びに延びた.アップアップしつも、よい編集者に恵まれた.再校原稿を送り,最後まで残った図1枚をセントレアから送る.6月末の出版予定.

Apr 14, 2010

Viva Bologna! 井上ひさし「ボローニャ紀行」

またも行きたい都市が増えた.「地域滅びて国も滅ぶ」という我が国,御嶽山の出版に関連し,赤字財政で揺れる王滝村村長に二度ほどインタビューした.地底を見た瀬戸村長は,自信に満ちていた.住民も70%が合併でなく独自の道を歩きたいという.王滝村に村独自の食べ物「すんき漬け」があり,スローフードジャパンの「味の方舟」に指定された.王滝村も日本のボローニャに育って欲しいものである.時しも,著者井上さんが亡くなった.もう少し頑張って欲しかった.文春文庫

Mar 26, 2010

おめでとう Agustan

インドネシアからの留学生 Agustanが卒業し理学博士を取得した。彼と知り合ったのは2004年スマトラ地震後のスマトラでのGPS観測、イルワンさんの紹介からだった。彼はニアスに渡ること二度。運よく名古屋大学推薦の国費留学生となり、今回インドネシアでの合成開口レーダ応用が彼の論文課題となった。にっこり笑った顔が魅力的でJICA研修生からも好かれていた。インドネシアでの活躍を期待する。
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